くまだかいぬだか

「いま、ここ」を飛び出したい。物語が好き。

【明日まで】エゴン・シーレ展@東京都美術館

気づいたら2年半以上もブログを放置してしまっていた。

放置してみて気づいたのは、感情を文章に乗せて書き表すことによってのみ満たされる空白が自分の中にあること。

その感情がたとえどんな取るに足らない小さなことであれ、手触りのある言葉に替えて、世間と繋がれるのは嬉しい。

そんなわけでまたちまちまと文章を書いてみたい。

ネットの海で誰かの目に留まることがあったら嬉しいです。

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先日、東京都美術館で開催している「エゴン・シーレ展」を見てきた。

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才<オフィシャルHP>

シーレは世紀末ウィーンに生きた画家で、クリムトらの影響を大いに受けて創作に励み、世間からも評価されたが、28歳の若さでこの世を去ってしまった。

そんな彼の描いた油絵、ドローイングなどが合わせて50点、同世代画家の作品とともに展示されていた。

 

28歳というのは今の自分と同じ年齢なので、なんというかそういうのって感じ入ってしまう。

芸術家あるあるの自殺パターンかと思ったら、スペイン風邪で命を落としたらしい。

パンフレットなどで「孤独と苦悩を抱えた画家」と書かれていて、ゴッホのように精神的な問題があって……というのを想像していたので、意外と安定した人生を送った人だったんだなと思ってしまった。

(多分普通にゴッホがやばすぎる)

個人的にすごく好みかと言われたらそうでもなかったが、展示点数が多く満足度は高かった。

第14章まである展示ってなかなかない気がする。

それから第13章は、黒い壁の薄暗い空間に、裸体のドローイングが仄白く輝くように展示されていて、まるで壁面にたくさん並んだ窓から覗き見ているようだった。

背徳感。

とはいえ春画の国の人間的には裸体の描き方にそこまでエロさを感じなかった。

それよりもシーレは人体の構造を客観的に捉えることに興味があったんじゃないかと思う。

上野の桜はもう終わってしまっただろうか。

明日までですが気になる方はぜひ。

 

 

国立西洋美術館『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』レポ

『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』行ってみてどうだった?

先週末、国立西洋美術館で開催されている『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』に行ってきました。

会場の様子や感想などについて書きます。

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artexhibition.jp

まさに「西洋絵画の教科書」 ボリューミーな構成

国立西洋美術館の企画展といえば、作品が盛りだくさん、途中で疲れてくるほどの充実ぶりですが、今回はそれが良い方向に働いていた気がします。

ナショナル・ギャラリーの特徴として「西洋絵画の教科書」というキーワードが公式サイトで挙げられています。

イギリスに限らず、幅広い範囲のヨーロッパのコレクションを有していることを示すものです。

今回の展覧会では、

Ⅰ イタリア・ルネサンス絵画の収集

Ⅱ オランダ絵画の黄金時代

Ⅲ ヴァン・ダイクとイギリス肖像画

Ⅳ グランド・ツアー

Ⅴ スペイン絵画の発見

Ⅵ 風景画とピクチャレスク

Ⅶ イギリスにおけるフランス近代美術受容

の7部構成で作品を紹介していましたが、それぞれで毛色が異なるので、最後までワクワクしながら圧倒的なコレクションを堪能できました。

また、いわゆる目玉作品が惜しみなく展示されていた点も素晴らしかったです。

例えば第Ⅱ部でいきなりフェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》が登場するのですが、これが「オランダ絵画の黄金時代展」だったら絶対最後の部屋に陳列されてますよね…。

フェルメールに限らず、レンブラントボッティチェッリ、ベラスケス、ターナー、モネ、ルノワール…と、単独で展覧会ができる作家が目白押しでした。

そして最後にゴッホの《ひまわり》と対面したときの感動と言ったら。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの本気を見たといったところでした。

そもそも「ナショナル・ギャラリー展」をイギリス国外で開催するのは今回が初めてということなので、まさに歴史的な展覧会と言えるでしょう。

コロナ禍じゃなかったらもっと大々的に実施できたんだろうなあと思うと悔しいです。

私が悔しがってもしょうがないですけど。

混雑状況

日時指定チケットのおかげで、ゆったりと展示を見ることができました。

土曜の昼前に入場しましたが、入り口で数分待たされたほかはスムーズな進み具合でした。

近年のフェルメール展なんかだと、「じっくり鑑賞するエリア」と「間近で鑑賞できる立ち止まれない列」が別で作られていますが、今回はどの作品でもこういった対応はされていませんでした。

かなり快適だったので、日時指定制はぜひ今後も取り入れてほしいです。

グッズエリアは入店時人数制限がかかっていて、ここも数分待ちでした。

10分程度での買い物が推奨されています。

グッズ

公式図録は2900円(税込)。

表紙がゴッホの《ひまわり》とクリヴェッリの《聖エミディウスを伴う受胎告知》の2パターンあります。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展図録【表紙:ゴッホ”ひまわり”バージョン】 | 図録専門販売サイト MARUYODO

1400円(税込)のミニ図録もあるので、記念に買おうかなという方にはいいと思います。

私が買ったのはこちら、

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すみっコぐらしのミニタオルです。

かわいい!

ちなみに「てのりぬいぐるみ」は完売していました。

再販したら欲しい。

エントランス

エントランスには《ひまわり》をモチーフにしたフォトスポットがあるのですが、

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うーん、観光地の山の上にありそう…。

アルチンボルド展の時の気合いはどこへ。

反対側の壁の方がロンドン・ナショナル・ギャラリーの外観を模していてお洒落だったので、写真を撮りたい方はそちらの方がオススメです。

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総評★★★★★ 行かない理由がない

誰もが知っている名作揃い、ボリューミーな展示、全作品が日本初公開と、もはや行かない理由がないです。

ということで大満足の星5!

ただ、西洋絵画の歴史を概観する内容である分、ゴッホ以外の各作家・作品への掘り下げは深くありません。

一度来場したらお腹いっぱいかも。

ちなみに常設展では、ラファエル前派などのイギリス絵画コレクションをピックアップして展示していました。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、イギリス絵画をテート・ブリテン、そしてテート・モダンに移したという経緯があり、今回の企画展でもイギリス絵画はそれほど多く出品されていません。

常設展も合わせて訪れると、より充実した鑑賞体験となるでしょう。

そんなわけで「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」、ぜひ行ってみてください。

artexhibition.jp

『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』に行く前/行った後に!英国ロンドン・ナショナル・ギャラリーの見どころ

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上野の国立西洋美術館では現在、『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』が開催されています。

会期は10月18日まで、その後は大阪の国立国際美術館に巡回し、11月3日〜来年1月31日の開催予定です。

上野では6月中旬からの開催でしたが、コロナ禍での東京開催ということでまだ観に行けていない人や(私もです)、短時間で流し観て帰ってしまった人もいるのではないでしょうか。

(9/11追記:行ってきました!)

onceinabluemoonx.hatenablog.com

今回は本場、ロンドンのナショナル・ギャラリーの沿革や見どころを紹介したいと思います。

時間がない方は見どころからどうぞ!

ロンドン・ナショナル・ギャラリーとは

沿革

1824年設立。

4年後には200周年を迎えるイギリス・ロンドンの歴史ある美術館です。

王室や貴族のコレクションを母体としていない点がヨーロッパの多くの美術館と異なります。

銀行家のジョン・ジュリアス・アンガースタインという一市民の遺した38点のコレクションが売りに出され、国がこれを買い取って国立美術館を創立しました。

その後の蒐集を経て、現在ではイギリスを含めたヨーロッパ各国の、13世紀後半から20世紀初頭までに渡る約2,300点の作品を所蔵するまでに至っています。

年間の来場者数は、世界の美術館・博物館でもトップ10に入る約600万人超。

まさに世界を代表する美術館と言えるでしょう。*1

場所

ロンドン中心部の繁華街、Soho(ソーホー)エリアに立地しています。

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』でハリーとロンとハーマイオニーがロンドンバスに轢かれかけた、ピカデリー・サーカスの近くです。

他にもオックスフォード・ストリート、チャイナタウンなどがあり、ちょっと行くと『マイ・フェア・レディ』でオードリー演じるイライザが教授と出会ったコヴェント・ガーデン・マーケットに辿り着くエリアです。

周辺にはミュージカル劇場も多いので、芸術的で華やかな雰囲気でした。

ナショナル・ギャラリーはトラファルガー・スクエアに面しています。

ネルソン提督指揮するイギリス艦隊がナポレオンの連合艦隊に勝利した1805年のトラファルガーの海戦を記念した広場だそうで、中心には高い記念柱が立っています。

入場料

ナショナル・ギャラリーの素晴らしいところの一つが、入場料が無料なところです。

観光の隙間時間にふらっとナショナル・ギャラリーに立ち寄って名画を鑑賞できる、ってかなり贅沢ですよね。

ちなみにイギリスでは、大英博物館やヴィクトリア&アルバート美術館、テート・ブリテンやテート・モダンなど大きくて有名な美術館が軒並み入場無料(寄付制)なので、時間があれば何日も通うのにちょうど良いです。

ナショナル・ギャラリー館内にも寄付箱があるので、館内図のパンフレットをもらうついでに何ポンドか入れると多分スマートです。

見どころ

ロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている作品をいくつか紹介します。*2

ゴッホ《ひまわり》

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フィンセント・ファン・ゴッホ 《ひまわり》(1888)

日本での知名度が抜群に高いゴッホの《ひまわり》。

1888年に南仏アルルでゴーギャンと共同生活を送ることになったゴッホは、ゴーギャンを歓迎するため《ひまわり》シリーズを描き始めました。

花がしおれるまで4点をキャンバスに描き、そのうちの2点のみをゴーギャンの寝室を飾るに相応しいと認めてサインを施しましたが、これはそのうちの一点です。

損保ジャパン日本興亜美術館にある《ひまわり》はこの作品を元に描いたものだそうです。

今回の展覧会に出展されています。

ダ・ヴィンチ《岩窟の聖母》

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レオナルド・ダ・ヴィンチ《岩窟の聖母》(1508頃)

知らない人はいない万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ

彼の《岩窟の聖母》もナショナル・ギャラリーに所蔵されています。

ほぼ同じ構図、構成の作品が2つあり、もう一つはルーヴル美術館蔵です。

ルーヴル版の方が、『ダ・ヴィンチ・コード』に登場するなど一般的に知られている印象があります。

ナショナル・ギャラリー版は全体的に青っぽい画面が特徴です。

残念ながら今回日本には来ていません。

ヤン・ファン・エイク《ジョヴァンニ(?)・アルノルフィニとその妻の肖像》

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ヤン・ファン・エイク《ジョヴァンニ(?)・アルノルフィニとその妻の肖像》(1434)

美術の教科書に載っていたので観たことがある人が多いのではないでしょうか。

ヤン・ファン・エイクネーデルラント(今のオランダ)の画家です。

背後の壁にかけられた鏡には、よく見ると夫妻と画家ともう一人が映り込んでいます。

今回は出展されていませんが、その緻密な描き込みはぜひ実際に目にして圧倒されてほしいです。

フェルメール《ヴァージナルの前に立つ若い女性》《ヴァージナルの前に座る若い女性》

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ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に立つ若い女性》(1670頃)

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ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》(1670頃)

同じネーデルラントの画家でもこちらの方が有名でしょう。

世界に35点ほどしか知られていないフェルメールの作品のうちの2つが、ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。

この2点は対になる作品ではないかと言われています。

女性の背景にある絵画(画中画)に注目してください。

《立つ女性》の背後に掛かっているのはキューピッドの絵です。

キューピッドは「恋人への貞節」のエンブレムであると解釈されます。

一方《座る女性》の背景にあるのは、ディルク・ファン・バビューレン《取り持ち女》と思われる、売春宿の情景を描いた絵です。

2点の作品が対になることによって、対照的な愛の形を表現していると言えます。

こんな風に、緻密な画面に込められた寓意を読み取るのもフェルメール作品の楽しみ方の1つです。

今回のナショナル・ギャラリー展では、下の《座る女性》が初来日します。

フェルメール作品は初期のものを除いて、基本的に市井の人の家に飾れるサイズで描かれているので、実際に観てみるとかなり小さいです。

しかもおそらく、作品前には人だかりか行列ができて近くで観られないと思うので、オペラグラスを持って行くのがオススメです。

ターナー《解体のため最後の停泊地に引かれていく戦艦テメレール号》

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《解体のため最後の停泊地に引かれていく戦艦テメレール号》(1839以前)

ターナーといえばイギリスを代表する風景画家。

この絵は、トラファルガーの海戦でフランスに打ち勝った戦艦・テメレール号が、蒸気船の時代となって活躍の場がなくなり、解体業者の元に売られていく様子を描いた、愛国心に満ちた作品だそうです。

今回はこの絵ではなく、同じターナーの《ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス》(1829)が出展されます。

 

きりがないのでこの辺りにしますが、今回は他にもモネの《睡蓮の池》やレンブラント《34歳の自画像》などが出展されています。

イギリス国外でナショナル・ギャラリーの所蔵作品展が開催されるのは、世界で初めてだそうです。

コロナ禍で外出しづらい中ではありますが、せっかくの機会です。

ぜひロンドン・ナショナル・ギャラリーの至宝を日本で堪能しましょう。

artexhibition.jp

www.nationalgallery.org.uk

実際に行ってみたレポはこちら

onceinabluemoonx.hatenablog.com

ヨコハマトリエンナーレ2020 ②プロット48 アンパンマンミュージアムの跡地で見るエビとシダのAVって何?

ヨコハマトリエンナーレ2020は「ちょっと綺麗な写真撮りに行きたいな〜」という人には向かないということを前回の記事で書いたけれど、会場の一つであるプロット48に関してはもう完全に、子ども連れにはオススメしない。

なぜなら、会場が全体的にR15っぽいというか、セクシャルな匂いの強い構成なのだ。

特に3階建ての南棟の方。

別に誇張して言っているんじゃなくて、「SEX CAVE」って書かれた薄暗い部屋があったり(ドア脇のパネルに「R15」って書いてあった)、女体盛りの動画が流れてたり、たくさん浮かんでるのは何のオブジェかな〜と思ったら拘束具(SMのやつ)だったり…という空間。

カオス。

あえて補足するなら、もうすぐで付き合えそうな3回目のデートとか、私たちって一体どんな関係なんだろう…っていう人とのお出かけとか、そういったシチュエーションでの訪問もオススメしない。

100%気まずい雰囲気になる。

とは言いつつ、私はまあまあ面白がれたので、どんな感じだったのかレポート。

(前記事・横浜美術館編はこちら)

onceinabluemoonx.hatenablog.com

セクシーなエビ

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南棟2階のエリアの半分以上を占めるのが、エレナ・ノックスの企画による作品群。

今展示でのメインテーマは「エビのための「ポルノグラフィー」」。

どういうことか?

NASAが生物を宇宙に送るために開発した「エコスフィア」というものがあるらしい。

ガラス製の球体の中に水や空気、海藻、バクテリアを入れた、生態系を自己完結する環境システム。

しかしここにエビを入れると、問題が。

エコスフィアに入れられたエビは、なぜか繁殖しなくなってしまうのだ。

科学者も原因を解明できていないというこの問題に対して、エレナ・ノックスは以下のような視点から立ち向かう。

曰く、

なぜエビはセクシーに感じないのか?
どうすればエビはセクシーに感じるのか?
エビのためのポルノを作るべきか?

もともとこれは「ヴォルカナ・ブレインストーム」として実施された参加型プロジェクトで、「ブレインストーム」という言葉通り思いついたことを気ままに話すというコンセプトのもとでの試み。

これを下敷きにした拡張版が本展なので、突飛(に見える)な作品が多いのはこのためかと。

koganecho.net

まず件の怪しい部屋の作品、『SEX CAVE OF FUNNY RED & BUSY BOY』(NNNI)。

noneednecessaryi.com

エレナ・ノックスエリアの中でも壁際にできた長い行列が目立っていて、皆この部屋に入るために待っていた。

私が行った時は5分程度並んだ。

こんなところで自分は一体何を…とうっかり我に返ってしまうので、待ち時間は短い方がいい。

部屋の中へは4人ずつ案内され、見知らぬカップルと一緒になって少々気まずい。

リンク先見てもらえればわかると思うんだけど、エビの格好をした半裸の女の人がエビの殻を剥いて食べてたり、スクリーンの前にはエビがバンズに挟まれたバーガー?みたいなオブジェがあったりして、エロさはないけどまあ見ようによっては官能的ではあった。

それから廊下に出て奥の方の部屋。

「エビのAV(エービー)」というしょうもない名前に釣られて中に入るのはちょっと恥ずかしかったたけど、いざ入ってみたら行列ができていて安心。

なぜ人は、それがエビを対象としたものであるにも拘らず、性的なものに興味を持ってしまうのか。

エレナ・ノックスは、そのような人間の感覚を風刺しているのかもしれなかった。

さて、エビのAV部屋ではエビのラブホテルとか「Prawnhub」といったオマージュ作品みたいなものが散りばめられていて面白かったんだけど、一番奥のVR体験に行列ができていた。

これもわざわざ5分くらい並んでみたけど、私には目の前でエビがふよふよ泳いでいるようにしか見えなくてちょっと期待外れだった。

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時節柄消毒の学芸員さんが大変そうで、かなり待つ割にすぐ出されるのでやはり空いている時に行くのが吉。

「性的な行為」と言われると私たちはつい人間同士のものを想定し、特別視しがちだけれど、結局それは生物同士の繁殖のための行為に過ぎないのでは、というメッセージ性を感じた。

テラスハウスの登場人物の顔にエビを被せた加工映像が流れていたのも、結局人間なんて生物の一種に過ぎないのに、その恋愛模様をエンタメ化して消費している私たち、に対する皮肉なのかなと思ったり。

ただ、子孫を残すことを目的とする生物としての側面から人間を捉えることになる今回の作品群では、どうしてもシスジェンダーヘテロセクシャルを前提とした雰囲気が色濃く出てしまっている気がした。

エビの格好をして踊っていたのはセクシーな女性だし、なぜか女体盛りの映像が流れてたし、廊下に展示してある半エビ人(?)の人形も裸の女性がモチーフだし。

企画者のエレナ・ノックスを調べるとフェミニズムについて考えているアーティストとしても紹介されていたので、彼女の他の作品ではどのようなアプローチを取っているのか見てみたいと思った。

シダと性愛

このような「性」を前面に出したエレナ・ノックス作品群に対して、似ているようで異なった立ち位置にいる作品が、南棟3階のジェン・ボーの《シダ性愛》シリーズ。

ジェン・ボーが問題にするのは「シダ」という植物。

種子植物であるシダは、花を咲かせたり、果実をつけ種を作ったりしない。

そのようなシダを「クィア」という視点から捉えて、人間という別の種との交わりの様子を撮影したのがこの作品らしい。

クィア」という語は広い概念を包括しているけれど、性的少数者全体を指すものとして捉えるのが一般的か。

映像では裸の男性がシダと「性愛」を繰り広げるさまが延々と映っていて、不思議な気持ちにさせられる。

この作品に対してははっきりR15とは書かれていなかったけど、「性的表現」が含まれることは明記されていて、一部分は規制がかかって暗転されるらしかった。

相手がシダの場合でも「性的表現」になるんだとしたら「性」とは一体なんなのか…と考えてしまった。

それなら動物園でたまに見る動物同士の交尾とかにもモザイクかける必要があるのでは。

ジェン・ボー作品の場合は、繁殖を目的としたものではない「クィア」な愛、という部分に焦点を当てていたんだと思う。

《シダ性愛》についてはこの方のブログが一番詳しかったので読むと雰囲気がわかるのではないかと。

korokoroblog.hatenablog.com

プロット48の展示を見た後に残るもの

このように、エレナ・ノックス企画の作品群も、ジェン・ボーの作品も、「性」というものを主要テーマとしながら、違った方向から解釈した、見かけによらず(失礼)真面目な作品だった。

しかし、前者を見た後に階段を上がってすぐに後者を目にして、最終的に残るイメージは、「エビとシダのAVを見たなあ…」というものになってしまわないか。

どちらも表現から受ける刺激が強いので、そこにばかり目が向けられて、肝心なメッセージ性が伝わらないのであれば勿体無い気がした。

思い返しながら文章にしてみたものの、実際に見て体験してみないとあの独特の雰囲気はわからないと思うので、興味を持った方は、ぜひ気の置けない友人と一緒にプロット48に遊びに行ってみてほしい。

ちなみにここで紹介した2パターン以外にも作品はあるので、子どもが見られるものもなくはない。

でも、決して「アンパンマンミュージアムだった建物で、面白そうなお祭りがあるから見に行こうか」とは誘わないことをオススメする。

高島町の地で、アンパンマン甲殻類とシダ植物によって既に亡き者にされていたのであった。

ヨコハマトリエンナーレ2020 ①横浜美術館 「派手」じゃないけど面白い 他者と「物語」を共有すること

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ヨコハマトリエンナーレ2020」に行ってきた。

トリエンナーレ」とは3年に一度開かれる展覧会のこと。

その中で「ヨコハマトリエンナーレ」(ヨコトリ)は「現代アートの国際展」と銘打っている。

2001年から開催しているそうで、今回は第7回展。

私は2011年の第4回展から欠かさず見に行っているので、気づいたら4回目のヨコトリだった。

今回のタイトルは「AFTERGLOWー光の破片をつかまえる」。

自分では説明が難しいというか消化しきれていないので、以下は公式サイトからの引用。

タイトルのAFTERGLOW(残光)とは、私たちが日常生活の中で知らず知らずのうちに触れていた、宇宙誕生の瞬間に発せられた光の破片を指すものとして選ばれた言葉です。ラクス・メディア・コレクティヴは、太古の昔に発生した破壊のエネルギーが、新たな創造の糧となり、長い時間をかけてこの世界や生命を生み出してきたととらえ、現代の世界もまた、さまざまなレベルでの破壊/毒性と、回復/治癒の連続性の中で、人間の営みが行われてきたと考えています。目まぐるしく変化する世界の中で、有毒なものを排除するのではなく、共存する生き方をいかにして実現するのか。ラクス・メディア・コレクティヴと共に、アーティストや鑑賞者、そのほか様々な形で本展にかかわる人々の間でこの問いを共有し、思考を続けていくことによって「ヨコハマトリエンナーレ2020」は形作られていくことになります。

ヨコトリ2020について - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」-横浜トリエンナーレ

(「ラクス・メディア・コレクティヴ」とは今回のアーティスティック・ディレクターであるインドの3人組アーティスト集団のこと。)

なんとなくわかるようなわからないような。

ということで以下全体的な感想。

映像作品が多い

今回のヨコトリ、正直言って地味な印象だった。

現代アートの展示なので、毎回「わからない…」と思いながら見ているんだけど、今まではわからないなりにパッと目を引く作品が多かったというか。

直近でいうと2017年のヨコトリ「島と星座とガラパゴス」では、カラフルな熊が展示されていて目玉作品的な扱いだった。

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パオラ・ピヴィ《I and I(芸術のために立ち上がらなければ)》(2014)

本来的には色々な意味が込められた作品なんだけど、鑑賞者としては「わあ綺麗!」って言いながらインスタ映えな写真を撮れる程度の親しみやすさがあった気がする。

今回でいうと、冒頭に写真を載せたニック・ケイヴ《回転する森》(2016、2020再制作)はこっちタイプの作品で、実際入口の正面に展示されて来た人を惹きつけていた(もちろん「綺麗」なだけじゃなくて、色々な意味を込められた作品であることは前提として)。

ただ今回こういうダイナミックな、形ある制作物が少なかった、目立たなかったと思う。

で、その代わりに多かったのが映像作品。

コロナの影響で日時指定券なのに尺長めの映像作品が多いので(1時間とかあった)、どの作品もつまみ食いしながら回る形になってしまった。

できればチケットに映像作品フリーパス的なものを組み込んでもらえればありがたかった。

個人的には、派手さはあまりなくても、じっくり見て世界観に浸ってみたい作品が多かったという感じ。

芸術に特に興味ないけど綺麗な写真撮れるかな?って人にはあまりオススメしない。

ちなみに小さい子は、デコボコした床のような作品(ズザ・ゴリンスカ《ランアップ》(2015))の上で遊んでいて楽しそうだった。

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ただこの間の「美術館女子」の件もそうだけど、昨今のアートを背景にして自分の写真を撮る、みたいな風潮がそもそもどうなのかという話でもあって。

今回のヨコトリは作品そのものを見てもらおうという趣旨だったならなるほどと思う。

映画館の文化の浸透度はすごいもので、みんな基本的に映像作品にカメラ向けようとしないもんね。

物語の共有

その数多の映像作品の中で印象深かったのが、飯山由貴《海の観音さまに会いに行く》(2014/2020)。

アーティスト - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」-横浜トリエンナーレ

精神疾患を抱えた妹さんの世界を体験するために、飯山さんたち家族がムーミンキャラクター(らしいもの)に扮して箱根周辺を歩く様子を撮ったドキュメンタリー。

キャラの着ぐるみがなんとも独特で、最初はまさかムーミンだとは思わなかった。

作者の妹さんへのインタビューもあった。

妹さんはムーミン谷で暮らしている妖精さんだそうで、木苺ジュースと言いながらアンバサを飲んでいる様子を見て、正直私には事態が飲み込めなかった。

そういう妹さんの内にある世界観を理解して(しようとして)、キャラクターに扮して踊ったり歩いたりして目に見える形で「表現」する家族。

内部に独自の世界を持つ、精神疾患を抱えた人って一見異質な存在に見えるけど、でもよく考えたら人は皆、「物語」を持って生きているんじゃないだろうか。

たしかジュネット物語論(ナラトロジー)の中で、出来事が起こった順番に並べたのが「ストーリー」、それを物語ることによって出来事同士に因果関係が見出だされて「プロット」になる、みたいな話があった(と思うんだけど、よくわからないのに書いていて恥ずかしい)。

何が言いたいのかというと、要するに私たちは出来事に直面した際、ただの出来事としてではなく、自分なりの物語を作って受け止めているのではないか。

「あの子と一緒に帰る約束をした。待ち合わせ場所に行ったら先に帰っていた」が出来事だったとしたら、

「あの子と一緒に帰る約束をしたけど、待ち合わせ場所に行ったら先に帰っていた。もしかしたら意地悪されたのかもしれないし、急用ができて連絡する間もないまま急いで帰宅したのかもしれない」が自分なりの物語みたいな。

相手とこのような物語を共有できると、その物語の紡がれ方から人となりを知ることができるし、じゃあ明日その子に理由を聞いてみようか、と建設的な話をすることができる。

相手を理解するために物語を共有することが効果的なのだとしたら、飯山さんの作品は特別な人のためのものではなくて、あらゆる人間の本質的な部分を映し出すものなのではないだろうか。

妹さんの「物語」を飯山さん家族の「表現」によって共有した私たちも、会ったこともない彼女の内に抱いているものを少し覗けた気がした。

というか、あらゆる芸術作品は「物語」の共有なのかもしれないということを思ったり。

現代アート面白い

色々書いてみたけど、全く別の意味を読み取った人もいると思う。

私が現代アートで好きなのは、一見わかりづらい代わりに正解がなくて、鑑賞者ごとに作品と対峙して考えを広げられるところ。

インスタ映えはしないかもしれないけれど、ちょっと面白そうだな、気になるな、と思った人はぜひ覗いてみたらいいと思う。

ちなみに今回は横浜美術館に展示されていた作品のことを書いたんだけど、ヨコトリ2020には別にもう2つ会場があった。

そのうちの一つ「プロット48」では海老のAV(エービー)が上映されるなど、かなりパンチの効いた展示がされていたので、次の記事で紹介したい。

onceinabluemoonx.hatenablog.com

LEVI'S® VINTAGE CLOTHING 503B XX

自分のためにお金を使うのが怖い。

娘が生まれて戸建てを買ったり麻布でディナーをしたりしている同年代の友達を尻目に、未だに2980円のトップスを買うのにも悩んでしまう。

買い物をして失敗するということに対して、物凄い恐怖心がある。

4歳くらいの時に母と行った靴屋で、ピンク色のプラスチックが編み上げのようになって、パイナップルみたいな小さいフルーツの飾りが甲のところに付いた可愛いサンダルを見つけた。

店員さんに履き心地はどう?きつくない?とか聞かれて、正直編み上げが足に食い込んで痛かったんだけど、見知らぬ大人に靴を履かせられるという時点でパニックになっていて、一刻も早く解放されたいがために大丈夫と答えた。

家に帰ってからサンダルがきついと言ったら「何でその時に言わないの!」と怒られて、結局そのサンダルは人にあげたのか捨てたのかよくわからないけれど、多分買ったものが合わなくてお金が無駄になるという恐怖心の一端はこの出来事から来ている気がする。

単純に今学生だからお金がないというのもあるんだけど、よく考えたら働いていた時もユニクロのレギパン×2にプラス1くらいのボトムを延々履き回していたし、多分収入どうこうという話でもない。

ちなみにレギパンは洗いすぎると穴が開くことを学んだ。

あと服だけのことでもなくて、例えばだいぶ昔の記事に書いたサボンのボディスクラブもまだ使い切れていない。

思い切って買ったものですら消費してしまうのが怖いという。

こうやって書いていると自分はただケチなだけなんじゃないかという気がしてきてヘコむ。

通帳の残高を見てニヤニヤするのが趣味みたいなところあるし。

でもこんな私も、そろそろ服くらいは長く着られる良いものを持ちたいと思うようになってきた。

そこで先日、ちゃんとしたジーパンが欲しいと思い、入手したのがお待たせしました今回の題名のものになります。

LEVI'S® VINTAGE CLOTHING 503B XX

「ちゃんとしたジーパン」がどこで手に入るのか考えたときに、真っ先に思い浮かんだのがリーバイス

他にもLeeとかレッドカードとか、ハイブランドではA.P.C.とか、色々なブランドがあったんだけど、何となくリーバイスは親も(ちょっと頑張れば祖父母世代も)知ってそうなのでデニム初心者としては安心感がある。

A.P.C.の試着室入るのはめちゃくちゃ怖いけど、リーバイスなら(多分)急にデニムに目覚めたそこらへんの男子高校生も買いにきてるからハードルが低い。

でも実際にリーバイスで試着したら「その形はアメカジ着こなしてる上級者じゃないと無理っすよー(意訳)」って言われたので意外とハードル高かったし怖かったです。

で、その「無理っすよー(意訳)」って言われた型をあえて買うという。

さて、その503B。

今季、新たにリーバイス®のウイメンズラインから登場する「503B」は、女性初のジーンズである701が誕生する前に、実際に女性たちが着用していたとされる501®のボーイズサイズです。​

だそうです。

で、これが「LEVI’S® VINTAGE CLOTHING」のコレクション。

アメリカンワークウェアのスピリットと歴史を捉えつつ、過ぎ去りし時代の中で愛されたフィット、生地、ディティールを丁寧に復刻したコレクション」だそうで、「リーバイス®のアーカイブをもとに、象徴的な復刻アイテムや毎シーズンのトリビュートを通し、リーバイス® の貴重な歴史を蘇らせ、時代を超えたアイテムを展開」しているらしい。*1

要するにどういうことかというと、リーバイスの普通のジーンズより価格帯がかなり上。

「ちゃんとしたジーパン」1本目にしてはかなり良いもの、そして散々恐れていたA.P.C.と同等かそれ以上のお値段のデニムに手を出したことになる。

そりゃリーバイスの店員さんが「無理っすよー(意訳)」と言っちゃうわけですよ。

世間に怒られそう。ドキドキ。

先ほどの引用に戻ると、701はハイウエストで、女性らしさを際立たせる形らしいんだけど、503Bは股上が浅め。

どちらかというとボーイッシュな履き方ができるらしい。

個人的にはハイウエストの形ってデニムがかなり主張してくる気がしていて、だからこそ足元はヒール靴とかパンプスを合わせて…みたいな引き算でレディライクな雰囲気に持っていきたくなるパンツだと思う。

その点503Bは形が主張しない分名脇役っぽい位置に落ち着いてくれて、適当にさらっと履いても様になる気がする。

素人の見解なのでどうとでも言える。

とりあえず下の記事で「化粧品で例えると701が赤い口紅だったら、503™ Bはファンデーションみたいな感じ」って言われていて、なるほどなと思った。

興味がある人は私のブログはどうでもいいからこの対談読んだら良いと思う。

www.fashionsnap.com

 

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1960年代のものをリバイバルしたということらしい。

色は「NEW RINSE」というワンウォッシュの濃い方にした。

紙パッチが可愛い。

そして世界に向けて公開される私のインチサイズ…。

サイトを見ると、腰履きになるのでいつもより1、2サイズ大きいものを買った方が良いということだったんだけどちょうど良いものがなかったので、身近なジーンズコレクターによる「ジーンズは伸びるからジャストサイズで良い」という言葉を信じてジャストの26を購入。

念のため確認した店員さんも伸びるからジャストで!って言ってたから、もし伸びなかったら責任とって助けてほしい。

まあ今のところ、分厚いトップスをインしなければ特に不都合はなさそう。


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ベルトループがセンターからずれているのが特徴的って対談の中で言われていた。へえー。

赤タブは「ビッグE」で全て大文字。
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ボタンフライなんだけどボタンが多いらしい(ソースは全て上記対談記事)。

あと隠しリベット?といって内側にリベットがある。何で?

よくわかんないけどかっこいい。
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赤耳のセルビッジ!

よくわからないけど丁寧な縫製らしい。

ロールアップした時に可愛い。
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詳しいことはよくわからないけど、対談の中で褒められていたので良いデニムらしくて嬉しい。

履いた感じは生地がしっかりしていて、でも固すぎずほどよいフィット感がある。

良い服をさらっと着こなせる大人になりたいものです。

今だからこそ読む『桐島、部活やめるってよ』

バレー部の「頼れるキャプテン」桐島が突然部活をやめた。

それがきっかけで、田舎の県立高校に通う5人の生活に、小さな、しかし確実な波紋が広がっていく。

物語をなぞるうち、いつしか「あの頃」の自分が踏み出した「一歩」に思い当たる……。

世代を超えて胸に迫る、青春オムニバス小説。

桐島、部活やめるってよ「TOP」

朝井リョウのデビュー作。

ちょっとした機会があって読み返してみた。

2010年の刊行なので、今年でちょうど10年前の作品ということになる。

出た当初かなり話題になったと記憶しているんだけど、高校生当事者だった私には刺激が強すぎるような気がして、数年後大学生になってから読んだ。正解だった。

高校生活がざらざらとした手触りそのままに差し出されている感じがする。

痛みを伴うリアルさというか。

2番目の「沢島亜矢」の話が特に好きなんだけど、チャットモンチーの『風吹けば恋」とかaikoの『気付かれないように』とか出てくる曲がいちいちエモすぎる。

2010年前後に女子高生をしてた人はほぼ必ず履修してたアーティストたちだと思う。

スマホも出始めた頃で(iPhoneがまだ4sとか)、今みたいにサブスクとかYouTubeで簡単に曲を聴いたりできなくて、ツタヤでCDを借りてiPodに入れてた。

逆に今の高校生みんなが(継続的に)聴いているアーティストっているんだろうか。

アクセスできる曲の選択肢が多い分「世代の曲」ってあんまりない気がする。

一部バズる曲か、その他かみたいな。ドルチェアンドガッバーナとかね。

でももう現役高校生とはだいぶ年齢が離れてしまったので実際どうなのかわからなくて悲しい。

閑話休題

『桐島』のリアルなところを他に挙げるとすると、舞台が進学校だってことだと思う。

可愛くてかっこよくて彼氏彼女と毎日遊んでて制服着崩してて、みたいなキラキラした高校生がたくさん出てくるけど、全員そこそこ勉強できるというのが地味に刺さる。

確かにここは進学校だけど、俺は別に医学部に進もうなんだなんて考えてない。東京のそこそこの私立大学に行って毎日楽しく騒ぎたい。

俺はMARCHのどこかに行ければバンバンザイ、早慶上智も一応受けて偶然受かったら最高だな、くらい。

中学校のスクールカーストで上にいた子達って、あんまり勉強できないけど可愛かったりかっこよかったりスポーツできたりなタイプが多かった気がする。

だから自分が「上」じゃなくても、勉強して自分の学力に見合った高校に行けば自分と同じようなタイプの人たちが集まっているんだろうな、って思いがちだ。

そうでもないですかね?とりあえず私はそう思っていた。

隙あらば自分語りするけど、中学時代の私は気の強い女子の集まる運動部に入っていたせいでなんとなく可もなく不可もない中くらいの位置に引っかかっていた(と思う)。

それで素敵な高校生活を夢見てまあまあ勉強してそこそこの自称進学校に入った。

でいざ高校に入ると、スクールカースト的なものはどこにでも立ち現れてくるのだという事実を発見する。

頭のレベルが同じくらいな分、余計に強調されたスクールカーストというか。

可愛くてかっこよくて彼氏彼女と毎日遊んでて制服着崩してて、放課後は校則で禁止のバイトして、みたいな人たちが結構勉強できて指定校推薦でMARCH行ったりするわけで、これが世間というものかと思った記憶。

ちなみに中国の高校では皆が大学受験に一生懸命すぎて、スクールカーストなんてものが作られる暇もないらしい。それはそれでどうなのかという気もする。

だから『桐島』の描く「ある程度なんでも卒なくこなす人たちの集団の中のスクールカースト」は私にとって結構リアルで記憶をえぐられる感じがして怖かった。

最近はコロナのせいで学校通えなかったり体育祭がなくなったり、私たちの高校生活を返して!って声がメディアで取り上げられがちだけど、そう思っている高校生がいる一方で、学校なくなってよかった〜って安心してる人も絶対いるよなと思う。

これを機に今後「学校」というシステムは変化していくような気がしている。

『桐島』はすでに、10年前の「懐かしい」高校生活の記録となっているんじゃないだろうか。

映画版も評判が良かったはずなのでいつか観てみたい。