くまだかいぬだか

「いま、ここ」を飛び出したい。物語が好き。

彼氏が「ワートリはいいぞ。」と言うから読んでみたらたしかによかった。

「ワートリはいいぞ。」

葦原大介ワールドトリガー』(通称「ワートリ」)をオススメするときの常套句らしい。

 

マンガ好きの彼氏があまりにも「ワートリはいいぞ。」と言うので読んでみたら、期待以上に面白かった。

 

ちなみに私はなかよしや別マを嗜みながら育った典型的な恋愛脳の20代女性であり、普段あまり少年マンガを読まない。

そんな少年マンガ初心者の感想だということを心に留めて読んでいただければ幸いだ。

それにしても私、初心者であることを笠に着たブログばっかり書いてるな。

持たざる者の物語

人口28万人が暮らす都市・三門市に、ある日突然異次元への「門(ゲート)」が出現。門から現れた異世界の侵略者「近界民(ネイバー)」に襲撃され、街は戦火をうける。しかし、その場は界境防衛機関「ボーダー」によって救われた。近界民には、生体エネルギー「トリオン」の力で稼動する近界民が生んだ技術「トリガー」が唯一の対抗手段であり、ボーダーの主な武器となっている。そして約4年後の現在も、人々はボーダーに守られ日常を送る。ボーダー隊員・三雲修は、近界民・空閑遊真と運命的な出会いを果たす。修の勧めで遊真はボーダーに入隊し、二人は行動を共にする。

ジャンプSQ.│『ワールドトリガー』葦原大介

ワートリを一言で表すなら「持たざる者の物語」だと思う。

思うっていうか公式でバンバン言われてるけど。

上の文はコミックスあらすじからの引用なのだけれど、「ボーダー隊員・三雲修」って強そうに聞こえる。

ところがこの修が、めっちゃ弱い

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http://worldtrigger.info/article/border.phpより

そもそも物語は、中学校に通う修がいじめっ子たちに暴力を振るわれる日常から始まる。

いじめてる奴らと戦う話なのか…と思ってたら全然違って笑った。

ワートリの世界観の中で重要なキーワードになるのが「トリオン」という概念で、ボーダーの隊員は基本的にこの生体エネルギーを元に戦う。

トリオンは人の体内にある「トリオン器官」で生み出されるのだが、そのトリオン量は人によって異なる。

例えば修の幼馴染で、同じ玉狛第二(チーム)の千佳は、子どものような外見にも関わらず生まれつき甚大なトリオン量を有している。

一方の修はこのトリオン量が非常に少ない。

少ないとどうなるかというと、攻撃力や体力が劣ることになり、戦いで圧倒的に不利だ。

例えば「MAJOR」の本田吾郎とか、「鬼滅の刃」の竈門炭治郎とか、私の知る少年マンガの主人公ってだいたい生まれながらにして光るものを持っていて、努力によって才能が開花していくものだった。

近界民であるにも関わらずチームの一員となった遊真は、豊富な戦闘経験に基づく高度な能力を持っていて、上記のような文脈でいけば遊真を絶対的な主人公に据える手もあったはずだ。

修の場合は戦っても戦っても身体的能力がガツンと上がることはない。弱い(今のところ)。

その代わりに武器となるのが頭脳だ。

天才なのかというとそういうわけでもなくて、修は過去の試合データを分析したり先輩に教えを請うたりして、頭を使って地道に作戦を立てることによって戦う。

綿密な作戦によって悠真や千佳の能力が最大限に引き出されるが、修本人はというと狭い道にひたすら蜘蛛の巣状の罠を仕込んだりしていてなかなか地味だ。

ところでブログを書くにあたって「ワートリの主人公って誰だ?」と思って調べたところ、作者の葦原さんは空閑遊真、三雲修、雨取千佳、迅悠一の4人が主人公だと言っているらしい。

つまり、この物語はチームの物語なんだな。

1人では弱くても、仲間それぞれの強みを組み合わせることによって強くなれる。

この辺りのメッセージ性はむしろ、自分が特別な何者かではないと気づいてしまった大人に刺さるんじゃないかと思った。っていうか刺さった。

ウルトラマンは血を流さない

ウルトラマンでは怪獣が八つ裂きにされても血が流れないことを知っているだろうか。

円谷英二は子ども向けの映像で血を見せることを嫌ったそうだ。

ワートリにおいて特筆すべきところは、同じく、戦いの中で(ほとんど)血が描かれないことだと思う。

これを可能にする仕掛けが「トリオン体」だ。

見かけはほとんど生身と変わらないが、先ほどのトリオンで作られた戦闘用ボディで戦う。

戦いの中では頭が飛んだり腕がもげたりするのだけれど、トリオン体が破壊されると緊急脱出機能で本部に帰ってくるようになっている。

だからトリオン体になって戦うボーダー隊員達は(今のところ)死なないし、切り口(傷口というよりは)からトリオンが煙のように出ても、生身ではないので血が出ない。

これは結構大事なことだと思っていて、やはり少年ジャンプ(今はスクエアだけど)という媒体に掲載される以上、それを読む子どもたちへの影響を考慮した作品作りをするべきじゃないか。

戦いの場面が多い物語なのに何となくほのぼのとしているのは、ワートリという作品にこういった仕掛けがあってのことだ。

まあ遠征をメインストーリーとするなら今はまだ壮大なプロローグの段階なので、今後どうなるかはわからないが、これが作者のポリシーならぜひ貫いてほしい。

紙のコミックスを読み返したくなる

実は読み始めたきっかけが、アプリ「ジャンプ+」に9巻までが無料掲載されたことだった。

しかしこれが面白いところで、ワートリは絶対に紙で読み返したくなる作品になっている。

もし物語序盤で脱落してしまう読者がいたとしたら、その原因はきっと、知らない登場人物達が畳み掛けるようにたくさん出てくることにある。

ブラックトリガー争奪戦や大規模侵攻編では、その時点までで紹介されていない大勢のキャラクターがいきなり出てきて活躍する。

そして後の巻でB級ランク戦が始まると、「あの時出てきた人だ!」という再会を果たす仕組みだ。

これはもう、同時に○巻と△巻を開いて読み合わせるしかない!ということになる。

紙のコミックスって最近はあまり売れないのかもしれないけれど、紙だからこそ楽しめる読み方を提案しているという点でワートリは出版業界に一石を投じる作品なのではないか。

私はまだ2周くらいしかしていないけれど、読み返す度に新しい発見がありそうでワクワクする。

きみたち学校行ってんの?

気になることとしては、この子たち学校行ってるの? ってこと。

たまに思い出したように登校しているけど、葦原さん絶対学校生活を描くことに興味ないと思う。

元小学校教師としてはやっぱり、義務教育段階の中学生は勉強に専念したほうがいいと思うの…。

比較対象としてどうかと思うけど、「美男高校地球防衛部LOVE!」とか高校通いながら地球守ってますからね。

ただ読者的には、修たちの「次の定期テストで全員平均点以上取らないと活動が止められちゃう!みんなで勉強合宿しよう!の回」を読まされて楽しいかと言われたら微妙かもしれない。

ただ東さん、あんたは大学院生なんだから研究室に詰めろ。週7で詰めろ。

その点鬼滅上手いな〜と思うのは、大正時代なら学校行ってない子どもがよんどころない事情で戦っていてもしょうがないかな、と納得できるところだ。

鬼滅の刃と比較して

もう少し語らせてもらうと、鬼滅はジェンダーロールをかなり固定的に描いている点が気になっている。

炭治郎の「長男だから〜」なんて台詞は現代から見たら違和感を感じるし、基本的に戦う男の子と守られる、あるいは献身的に世話を焼く女の子、という性役割が明らかだ。

まず口枷を付けられて片言しか喋れなくなった美少女がメインキャラの時点で本来は結構やばい。

PTA的には特に問題ないんだろうか。

私も文句を言いたいわけではなくて、大正時代だから、と言われれば時代に回収される問題だし、そういう旧い時代への郷愁を込めてファンタジックな異界としての「大正」が設定されているのは理解できる。と思っている。面白いし。

しかしその点、ワートリは女の子の隊員も結構多くて、みんな対等に戦っている印象を受けた。良い悪いではないけれど、私としては好感を持った部分だった。

 「ワートリはいいぞ。」

あくまでも初心者の感想なのでこの作品の魅力を伝えられたかどうかはわからないけれど、この言葉で締めたい。

「ワートリはいいぞ。」