くまだかいぬだか

「いま、ここ」を飛び出したい。物語が好き。

気軽に行くな、他人の地元 『ミッドサマー』と高田大介『まほり』、ミイラ展

ミッドサマー、観ましたか??

タイミングを逃し続けてこの時期にブログ書いてるんですけど、私は公開初日に観ました。

ちなみに一番怖かったシーンは、エンドロールが終わって映画館が明るくなった時、隣に座った友達が今まで見たことがないくらいの満面の笑みをたたえていたところです。

 

さて、今回書きたいのは、アリ・アスター監督の映画『ミッドサマー』と、『図書館の魔女』で知られる高田大介のミステリ小説『まほり』(KADOKAWA、2019.10)って似てない?? ってことです。

見た限りでは誰も指摘している人いないけど、それが不思議なくらいこの2作はよく似ていると思うんですよね。

 

あまりネタバレしないように書いていますが、新鮮な驚きを持って両作を堪能したい方はぜひUターンして、鑑賞後に読んでください。

www.phantom-film.com

 

 

さて、映画『ミッドサマー』のあらすじを簡単に確認します。

家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる”90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。

https://www.phantom-film.com/midsommar/

アメリカの大学生・ダニーの妹が、ある日両親を巻き添えにして無理心中してしまいます。

もともとダニーは精神疾患を持っていたんですけど(妹も)、家族を失ったことでますます不安定な心理状態になります。

ここで恋人のクリスチャンが頼りになるのかと思いきや、彼はダニー重いわー、でも今別れるのもなー、とか考えてダラダラと付き合い続けている様子。

そんな中、大学で文化人類学を専攻するクリスチャンが、友人の地元であるスウェーデンの田舎町・ホルガに複数人で行こうとしていることを知ったダニー。

何で私に内緒にしてたわけ!? とキレます。気持ちはわかる!!!

それで私もホルガに連れてって! と言います。やめとけ!!!!!!

めんどくさくなったクリスチャン、いいよーって言います。断れよ!!!!!!!!!

他の友達は露骨にマジかよって態度を取るんですが、ホルガ村出身のペレはなぜか彼女を歓迎します。

こうして彼らは、90年に一度開催されるという夏至祭に参加することになり、大変なことに巻き込まれていって…

という話です。

 

一方の『まほり』はこんなあらすじです。

「まほり」とは何か?

蛇の目紋に秘められた忌まわしき因習
膨大な史料から浮かび上がる恐るべき真実

大学院で社会学研究科を目指して研究を続けている大学四年生の勝山裕。卒研グループの飲み会に誘われた彼は、その際に出た都市伝説に興味をひかれる。上州の村では、二重丸が書かれた紙がいたるところに貼られているというのだ。この蛇の目紋は何を意味するのか? ちょうどその村に出身地が近かった裕は、夏休みの帰郷のついでに調査を始めた。偶然、図書館で司書のバイトをしていた昔なじみの飯山香織とともにフィールドワークを始めるが、調査の過程で出会った少年から不穏な噂を聞く。その村では少女が監禁されているというのだ……。代々伝わる、恐るべき因習とは? そして「まほり」の意味とは?
『図書館の魔女』の著者が放つ、初の長篇民俗学ミステリ!

https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000322/

もうこの時点で似てません?

具体的にどこが似ているのか考えてみました。

 

①隔絶された村

『ミッドサマー』のホルガ村は、現代社会からは隔絶した価値観で回っているカルト村。

『まほり』の舞台となるのは上州の山奥の地域なのですが、調査を進めるうちに、その中でも昔から周囲との交流を絶って存在している村に近づいていき…という展開です。

スウェーデンの地域事情はよくわかりませんが、「日本」という一つの国、という概念が生まれたのって近代以後ですよね。

それまでは自分の属している地域が「くに」だったわけで、そう考えると他の地域ってつまり異国、異郷。

くにが違えば、そこには自分たちとは違う価値基準が存在するんですよね。

現代の私たちは簡単に出かけてしまうけれど、本来別の場所に行くことは越境行為であって、その行為自体にもっと畏れを持つ必要があるのではないか…というようなことを考えたりしました。

 

民俗学

『ミッドサマー』のクリスチャンたちは文化人類学を学ぶ学生、論文のためのフィールドワークという名目で、伝統的な夏至祭の行われるホルガ村を訪れていました。

『まほり』の主人公・勝山裕は社会学を専攻する大学生で、土地にまつわる伝説に興味を持ったことから、民俗学的な研究を行うべく上州の村を訪れます。

地域の伝承って、どうしてこうも人を引き寄せるんでしょうね…。

ちなみに『まほり』という小説の真骨頂は、裕と図書館司書を目指す香織が協力して行っていく誠実な調査研究過程の描写にあると思っています。

一次資料としての古文書にアクセスし、一歩一歩事実に近づいていく。

単体で見たら取るに足らない内容に見えても、多くの資料がパズルのピースとして合わさることで、思いがけない全体像が浮かび上がってくる。

この過程にカタルシスを感じられれば倍楽しめる小説です。地味なのに気持ちいい…。

それに引き換えクリスチャンは、友人ジョシュの研究テーマをパクろうとしているので大学生の片隅にも置けませんね。

 

③盲目の女性

若干ネタバレなんですけど、『ミッドサマー』でも『まほり』でも「盲目の女性」がコミュニティにおいて神と通じる巫女的な重要な役割を担っています。

世界の東西に隔てられているにも拘らずのこの符合は何を意味するのでしょうか。

世俗のモノが見えないからこそ、この世ならざるモノが見えるということなのか。

「普通」と違う人のことを忌避しながら同時に特別視するという考え方が、普遍的なのか。

こういうこと考えるとやっぱり民俗学って面白そうですよねー。

 

ところで『ミッドサマー』を観る少し前に、上野でやっていたミイラ展に行きました。

ガラス越しにモノとしてのミイラを見る分にはすごく楽しかったんですけど、作った当時のことを考えてしまうと文化背景が透けて見えてきて、よく考えたら怖くなりそうなのでやめました。

とりあえずミッドサマー観た後に行かなくてよかった。

古代エジプトインカ帝国だけじゃなくて、世界各地にミイラ文化があることに驚きましたが、それぞれちょっとずつ違いがありました。

その土地にはその土地の風習があるわけですよね。

ホルガ村の文化も、上州のある村の文化も、否定されるべきものではなくて。

ただ、関係ない人が関わるとあんまり良いことがなさそうだと思いました。

 

【結論】

他人の地元 行くな 危険